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才谷勇蔵の寄せ鍋コラム
2004年7月23日(金) 第11回
「所有権に基づいた指名権でリーダーを決定する」
■ リーダーの資質への依存

私たちが社会を形作る上で、何よりもまず1番初めに決めなくてはならないこと は、人間が集団として組織を作って生きる生き物である限り、自分たちの住む 社会にある組織がどのような形で組織されるのか、具体的に言えば、「自分た ちの組織においてリーダーがどのような方法を用いて決定されるのか」、その方 法を決めることである。

人類の歴史を見ると、人間はいつも集団を作り生きてきた生物であり、そこには いつもその組織を取り仕切るリーダーが存在してきたことがわかる。そして、社 会はいつもその社会の中に存在する組織のリーダーの質によってほぼ100%に近い 形で、その社会がどのような社会になるかが決まってきた。

社会において1番大きな組織である政治という側面を見ても、才覚のあるリーダー の下では、すばらしい社会が展開され、私たちは健やかに心配事なく暮らしていく ことができた反面、ろくでもない人間が指導者になると、とんでもなく社会が混乱 し、荒廃し、不安と疑心暗鬼のもとで生きていかなくてはいけないくなる。歴史上 すばらしい偉業においても、すばらしい指導者の下でその偉業は成し遂げられたと 同時に、社会を混乱させ、衰退させ、崩壊させるのはいつもろくでもない指導者が 指導者の地位についている時なのである。

そう、人間が集団を作って生活する生き物である以上、どんな時代においても私た ちは、その自身の生活を、組織におけるリーダーの資質に依存して生きているので あり、それは言い換えれば、社会に存在するあらゆる組織は、その組織のリーダー になる者の質と、「その組織がどのような方法でリーダーを選び出すのか」という、 この2つによってその存在価値が決まってくるということなのである。

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2004年6月28日(月) 第10回
「特権階級による、嫉妬と鑑札を使った統治の形態」
■ 西欧では研究されていない分野

民主主義の社会においては、基本的に人は皆、自分の取ったリスクに基づいて リターンを得る。リスクをたくさん取った者はリターンもたくさん、リスクの 少ない者はリターンも少ない。こうした原則に基づいて社会が構成されている。 しかし、特権階級によって支配されているような国では、こうしたリスクとリタ ーンが等価になる原則に基づいて社会は動いていない。

特権階級によって支配される国では、特権階級は文字通り、特権に基づいてリ スクなく、多大なリターンを得ることができる。今日はそんな特権階級にいる 者たちがその特権を維持するために編み出した社会の統治の体系について考え て見たい。 常識的に考えても、ノーリスクでハイリターンが受け取れるなんてことは物理的 にありえない。通常は、社会の中では人が取ったリスクに応じてしかリターンは 生み出されないからだ。

石油や天然ガスといったものがたくさん湧き出るとか、金やダイヤモンドなどが 多量に取れるとか、そういった特別な要素がない限り、リスクとリターンは社会 の中において等価なのだ。それにも関わらず、ノーリスクでハイリターンを手に 入れることができる特権階級の人々が社会の中に存在しているということは、そ こには何らかの特権階級層を維持させるためのからくりが必ず存在するのである。

この特権階級型社会のからくりは西欧では研究されてい ない分野だ。なぜなら、西欧は19世紀にすでに民主主義に移行し、もはやこうし た特権階級が社会を維持するような統治形態は過去のものだからだ。必然的にそ こでは特権階級型社会は発達していないため、研究する必要がない。だから、今 ここで、19世紀から先の特権階級型社会のからくりを考えることは、現在の日本 にとっても決してマイナスとなることではない。

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2004年5月30日(日) 第9回
「真っ白いキャンパスを別に常に用意する」
■ 立派に彩られたキャンパスを前にして

社会というのはキャンパスだ。人々はそのキャンパスにそれぞれ好きな色を 塗ることで自分たちの社会を形作っている。特に高度に発展している現代の 日本は色とりどりのカラフルな色で塗られた立派なキャンパスを持っている。

たくさんの物資が存在し、食うに困らず、安全で快適な社会、それが日本社 会のキャンパスだ。色とりどりに塗られたキャンパスは本当にどこに出して も恥ずかしくないくらいの代物だ。しかし、これだけ立派なキャンパスを持 つ日本社会にもないものが存在する。これだけ豊かになり物で溢れ返ってい る日本にもないものがある。

そう、それが真っ白いキャンパスだ。何も絵がかかれていない真っ白いキャ ンパスはこの国のどこを探しても存在しない。日本社会のどの部分を見ても すでに何らかの色が塗られている。ここはこうしろ、この場合はこうする。 私たちはその色に黙って従うしかない。私たちはキャンパス全部に何かしら の色を塗ることで大いなる発展を手に入れ、そしてその代償として真っ白い キャンパスを失ったのである。

そう、この国には、自分で自由に好きな色を塗ることができる真っ白いキャ ンパス、どんな色を塗ろう、こんなのにしようかというワクワクするような そんな人間にとって最も大切な気持ちが存在しないのである。私たち日本人 はただ、黙って立派に彩られた色鮮やかなキャンパスを指を加えて眺めてい るしかできないのである。

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2004年4月23日(金) 第8回
「ジャングルが生き物にとって最適の環境」
■ ジャングルと自助の精神

生き物にとってジャングルという環境こそが、その生存に最も適した環境で ある。これはとても重要な生物の命題だ。では、なぜジャングルこそが生物 にとって最も適した環境であると言えるのかというと、それは、生物にとっ てその生存の是非を分ける重要な精神である自助の精神と呼ばれるものがジ ャングルという環境下においてのみ育まれるからである。自助の精神はジャ ングルという環境をおいて他、育むことはできないのだ。

自助の精神というのは言うまでもなく、自分の足で立ち、自分の生存を自分 自身の力で切り開いていこうとする精神である。誰にも依存することなく、 最後まで諦めることなく、生き抜いて見せるという力強い生命エネルギーを 自助の精神という。こうした特徴を考えた時に、甘えた環境やぬるい環境で 生物が自助の精神を育むことができるはずはない。ジャングルというとてつ もなく厳しい環境があって初めて生物の心に自助の精神を宿すことができる のである。

ただジャングルという環境は決して複雑怪奇なものではない。ジャングルと いう環境は実はなにもないということなのだ。いたってシンプルな形をして いる。ありのまま、何もないという自然のままの姿、自然界の法則に則った 姿こそがジャングルという環境の最も奥深いところなのである。

人類はやがてこのジャングル型の社会を目指すだろう。ジャングルなんて原 始的で古臭いと小ばかにする人もいるかもしれない。しかし、実は人類にと って最も豊かな社会とはこの原始的なジャングルの環境をその社会の中に内 在させることができる社会なのである。ジャングル型の社会こそが実は最も 豊かな社会であるということにいずれ必ず気付く。

しかし、それに気付いてもジャングル型の社会を実現することは並大抵のこ とではない。何もないという状態を創ることがどれだけ難しいか、そしてそ れを維持し続けることがどれだけ難しいか、それさえ今はわかっていない状 況だ。ジャングルを原始的だと馬鹿にするような輩には到底到達できない高 みなのである。

高い国民の質、深い知性、すばらしい徳、そういった複合的な要素が存在し て初めて、人間界においてジャングルという原子的な仕組みを社会の中に内 在させることができる。ジャングル型の社会の創造は人類にとってとてつも なく大きな命題であり、またかつとてつもなく大きな挑戦でもある。私はこ の高みに挑戦したいといつも強く思うのだ。

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2004年4月07日(水) 第7回
「天才を育てることで生計を立てていく!」
■ 天才を食わせてやって、食っていこう!

21世紀の日本は天才を育てることで生計を立てていく国だ。簡単に言えば天才に思う存分 伸び伸びとその自身が持っている天賦の才を思い切り120%全開に発揮してもらい、その 結果として生まれた価値を私たち国民みんなで分け分けするという形の国に21世紀の日本はそうな る。

いや、なると書いたが好むと好まざると、どちらにしろ21世紀はいかに天才に気持ちよく 創造という作業を行ってもらえるかというサービスをどれだけきめ細かく提供できるかと いうことを国単位で競い合う時代になる。これはもう間違いのない21世紀の流れだ。天才 に気持ちよく創造してもらえる環境を整えて、そこからお金をいただくというサービスの レベルを国家間で競い合う時代になる。

だから21世紀においては私たちはいかに創造という作業が自分たちの国で行い易い環境に あるか、どうすればもっと天才が創造しやすくなるのかということに知恵を絞らないとい けない。そうしないと私たちは食べていけなくなる。

21世紀の日本は放っておけば自分た ちの働く場所がどんどん減っていく社会だ。情報技術が発展し、 コンピュータが人間の代用をするようになり、今まで100人でできていたものが10人に 、10人でできていたものが1人でできてしまう。情報技術の発展が私たち自身の生活の質 を向上させる以上、この社会の流れは変わり様がない。

ならばただ漫然と競争して、順番を決めるだけという現在の社会の仕組みでは皆ががん ばって競争し勤勉に努力すればするほど、人の働く場所というのは減っていく。これは 如何ともし難い事実だ。このままでは日本人は皆ががんばればがんばるほど不幸になる。

だから21世紀を生きる私たちは自ずと自分たちが働く場所を創造するということを常に やり続けなくてはいけない。そして、21世紀はこれだけ高度になった情報化社会だ。な らば、私たちは新しく働く場所を創造する時にやはり新しい価値を創造することことが できる天才という人たちを強く意識せざるを得ないのである。自分たちが食べていくた めに、天才という人たちに快適な創造の場を提供するということを強く意識せざるを得 ないのである。

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2004年3月25日(木) 第6回
「目指すは税金という概念が存在しない社会」
■ 税金は出すものから貰うものへ

21世紀私たちが目指す社会はまず何よりも始めに税金という概念そのものがない 社会、言ってみれば今私たちは所得税や法人税といった税金を支払っているがそ れを1円も支払わなくてもいい社会、それを目指さないといけない。

言い換えれば21世紀の社会においては税金とは「支払うものではなくもらうもの」で ある。そういった社会にしていくことが私は21世紀の社会の方向性なのではないかと 強く思うのだ。

こんなことを言えば夢物語だと感じる人もいるかもしれない。はなから無理だと思う 人がいるかもしれない。しかしこれは夢みたいに画期的なことではあるが決して夢物 語ではない。そもそも税金などという概念は近代になって出てきた概念で、昔からず っとあるわけではない。

奈良時代や鎌倉時代、江戸時代にそれぞれ租庸調や年貢といったものはあったがこれ は税金ではなく、支配者が被支配者から有無を言わさず米や農作物を献上させ、特権 階級である支配者が生産活動を行わずとも生活することを可能にするために使われた という観点からおよそ税金とは異なるものだ。

税金という概念は近代に入って誕生した。所得税に限ってみればそれが導入されたの は20世紀になってからだ。税金という仕組みが導入されてたった1世紀、決して税金は 普遍的な概念ではない。こうしたことを考えた時に私は21世紀のしかも現在の日本の 国力と潜在的可能性を考えたなら日本の社会は税金と呼ばれるものがなくても十分成 立しやっていけると思っている。

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2004年3月06日(土) 第5回
「教育により身分を生産するいびつな階級社会」
■ あまりにも深い根

日本の教育に目をやる時、私はいつも、そこにとてつもなく巨大な壁を感じ ずにはいられない。あまりにも深い根が教育というものを通して社会の隅 々までいきわたっている。

それはおよそ、日本の社会において誰も崩すこ とができなかった巨大な壁だ。一朝一夕にできたものではなく、江戸時代 いや、それ以上前から日本人の心の中に、社会の中に、風土に社会のシス テムに深く深く入り込んだ、とてつもなく大きな魔物。

この魔物はその時代時代の社会環境によって生産される方法は異なる。 江戸時代は武士という固定された制度の中から、明治時代も同じように特 権階級から、そして20世紀の社会ではそれは教育によって生産されている。

日本は近代的で民主主義の社会、階級も存在せず、皆同じフィールドで生 活しているなんてことはありえない。事実としてしっかり見て欲しいのは 日本は今でも江戸時代とまったく同じ仕組みで動いているということだ。 士農工商という階級社会。ただそれを教育というフィルターを通して生産 し、あたかも近代的な民主主義国家であるようにカムフラージュしている だけにすぎない。

現在の日本の社会のシステムは江戸時代には固定された武士という特権 階級が無条件に存在したのをただ、教育という選抜方式で、誰が武士とい う特権階級に座れるかを決めるという方式に変わったというに過ぎないのだ。

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2004年2月27日(金) 第4回
「1つで正比例という発展途上国の宿命」
■ 社会の4つの価値判断タイプ

社会には私の知る限り、4つの価値判断基準タイプが存在する。それが正比例・循環・逆説・多様 性のこの4つのタイプだ。そして、この4つの基準のタイプそれぞれが、互いに干渉すること なく機能している国を総称して「先進国」と呼ぶ。

正比例は1、2、3、4、5と順番に増えていく。循環は1、2、3、4ときたら次は1に戻る。逆説は 1と2が矛盾したり、対立したりする関係を帯びながらも実はつながっているという関係。多 様性はそれこそ1が2にもなったり3にもなったりする。

しかし、この4つのそれぞれのタイプが社会に共存して存在していることは まれだ。ほとんどの国では、このうちの「正比例」というタイプ1つだけが 機能しており、他の基準タイプはその社会に存在することを許されていない。

その理由はこの4つのタイプがそれぞれ成立が異なる基準であり、それらを 並立させることはかなりの高度な姿勢が要求されるからである。発展途上の国 にはその高度な状況を吸収するだけの社会的成熟度もなければ、これらの基準 を併用して存在させなければならない社会的要求もない。

発展途上の国にとっては、その少ない力を効率よく使い、最大限の成果を 上げるために、誰もがわかりやすい「正比例」という基準1つのみを採用するこ とが何よりも求められることなのである。教育も政治も経済も、何もかもそ の社会に存在するありとあらゆる制度をこの「1つで正比例」という基準で もって作り上げること、それが発展途上国が発展するための唯一の条件なの である。

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2004年2月20日(金) 第3回
「それは本当に必要なものなのかを問う」
■ 1番始めにやるべきこと

人が何か困難な問題を解決しなくてはならない時、(ここでは年金の問題を取り上げる) まず1番始めにすべきことはその問題の対象となっているものが本当に自分たちにとって 必要なものなのか、その対象自体の存在が正しいものなのか、それとも正しくないのか をチェックすることである。すべてはその問いかけから始まる。

つまり、年金の問題を解決しようとする時もどうやったらこの年金の 問題をうまく解決できるだろうかと方策を考えるのではなく、まず何よ りもまず1番初めに、私たちにとって年金という制度は本当に必要なもの なのか、欠かすことのできないものなのかを問うことから始めなくては ならない。

私たちの社会は本当に年金という制度を必要としているのか?本当に私 たちは年金という制度がなければ生きていけないのだろうか?もし、年 金という制度がなくてもやっていけるとしたら、私たちはそのためにど んなことをしたらいいのだろうか?と考える過程が必須なのである。

人が朝起きてまず初めに顔を洗うように、私たちは何か問題に直面し た場合や何か困難を解決しようとする場合、まず何よりも1番初めにそ の対象となっているものが本当に正しいものなのか、私たちにとって必要 なものなのかどうかを考えることから始めなくてはならない。

なぜなら、その対象物の存在自体が間違ったものであるなら、それを 取り除く方法以外に問題を解決する方法はないからである。間違った前 提のもとで、どれだけ有意義な答えを探し出そうとしてもそれは本当の 意味でなんら有益な答えにはならないのだ。

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2004年2月16日(月) 第2回
「評価の仕組みが作り出す権力の魔物」
■ 評価の仕組みを決める立場が争いを産む

普遍的な視点から見て「人が人の能力を評価する」ということは 基本的に無理だと理解しておくことはとても重要なことである。

評価は、評価の仕方、評価する立場によって、例え同じもので あっても180度正反対の評価結果になり、またその評価が行わ れる時間軸、判定基準、そういったものを少しいじるだけで簡 単にそこで評価されて出てくるものが異なってくるという特性 を持っている。

例えば、Aという村とBという村があったとしよう。A村では20歳 という年齢の時に最も暗記力が高い人間を1番に評価するという社会。 反対にBという村では、40歳で最も決断力のある人間が最も高く 評価されるとする。そうであれば、A村で最も評価される人間とB村 で最も評価される人間は自ずとまるっきり違ったものになってくる。

A村で最低評価の者がB村では最高の評価になったり、反対にB村で 最低の評価の者がA村では最高の評価になるというような現象が起 こってくる。A村とB村が互いに交流のないような隔絶された社会な ら問題はないのかもしれないが、もしA村とB村で人が互いに行き来 するような状況になれば、どっちの評価をベースにするのかと評価 の基準をめぐって両者が互いに対立するという自体に必ず陥る。

評価というものはその基準を少しいじるだけで、その社会に生きる 人間の質を恐いまでに規定してしまう、恐ろしい性質を秘めた産物 なのである。

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2004年2月11日(水) 第1回
「エリートから順番に安全なイスに座っていく国」
■ みんなで支え合う腐った仕組み

日本の社会の仕組みにおいて何が1番腹立たしいかと言えば、それはエリートと呼ばれる人間 から順番に安全なイスに座っていくことだ。有名な大学を出た1流と呼ばれる人たちは、それ までの不毛な努力の対価として、当然、自分には安全なイスに座る権利があると言わんばかりに 官僚、公務員、大企業といった安全なイスに順番に座っていく。

周りの人々も決して、この「エリートから安全なイスに座っていく仕組み」に対して異議を申 し立てたりしない。エリートとはどうあるべきか?エリートの取るべき姿勢とはどういったもの なのか?エリートこそ、彼らこそが未知なるものに挑戦していかなくて誰が挑戦するのだ!などと いうようなことは端から眼中にない。

彼らに興味があるのはただ1つ。自分も(不毛な)努力をすれば、エリートになれ、安全なイス に座れる可能性があるという甘美な響きだけなのである。だから、自分が安全なイスに座れるか もしれないという希望のニンジンを手に入れることを妨げるような「エリートはどうあるべきか」 などという議論には、一寸の興味も湧かないのである。

こうしてこの国は、このニンジンレースを根幹にして、ニンジンレースに勝ち残った者によって 運営される。その結果がどのようなものになるかなどということは、猿でも分かることだ。残念な がら、この国にはエリートと呼ばれる者の自負も誇りも、精神も役割も存在しないし、誰も追求も しない。あるのはただ安全なイスに座れるかどうかという視点だけなのだ。これ以外に、この国を動 かしているものは何1つも存在しないのである。

これが日本という国だ。 続きはこちらからご覧下さい
※このコラムは、小説を出版するためのお金を出して下さった方に才谷勇蔵が そのお礼と感謝の思いを込めて書いているコラムです。このコラムが面白ければ是非、小説出版 のお金も出して下さい!(勇蔵)
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才谷勇蔵プロフィール
2002年10月に小説出版プロジェクト を開始、出版費用を持ち合わせていなかったため、読者の力を借りて、小説の出版を実現させよう と企画。7月までに集まったお金は70万円を突破。2005年度の小説出版を目指す! (詳細)

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過去の寄せ鍋コラム一覧
2/11 エリートから安全なイスに座っていく国
2/16 評価の仕組みが作り出す権力の魔物
2/20 それは本当に必要なものなのかを問う
2/27 1つで正比例という発展途上国の宿命
3/06 教育で身分を生産する歪な階級社会
3/25 目指すは税金という概念がない社会
4/07 天才を育てることで生計を立てていく
4/23 ジャングルが生物にとって最適な環境
5/30 真っ白いキャンパスを創造し常備する
6/28 特権階級の嫉妬と鑑札を使った統治
7/23 所有権を基にした指名権でリーダーを
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