yuzo.net 
Home > 失敗したら責任はどう取るのかとお考えの方へ
チャレンジに失敗したら、その責任はどう取るのかとお考えの方へ
「チャレンジャーを応援することは損得なのか?」

チャレンジに失敗したら、その責任はどう取るのか、とそういうことを言う人がいます。私から すればあまりにビックリ仰天で天変地異的発想ですが、日本人の中には相当数、こういった考え 方をする人がいます。チャレンジに失敗したならそのチャレンジャー本人が責任を取れ、お金を 返せという考え方をする人が驚くことに大勢いるのです。

しかし、この考え方は、2重にも3重にも間違っています。チャレンジャーの応援は融資ではあ りません。お金を借金して借りるわけではないのです。チャレンジの応援というのは、失敗して も良いから、思い切ってチャレンジしろ、その失敗分の損は応援者であるがもつするから、10 0%全力でチャレンジするんだぞ、これがチャレンジャー応援の理念であり、根幹です。

チャレンジャーを応援して、しかし、運悪く、そのチャレンジャーが失敗した時、2000円損 するのが嫌だというような人はチャレンジャーを応援しなくて結構です。そんな人の応援はいり ません。失敗した時出した2000円を返してくれるのなら、応援するよという考えの人も応援 はいりません。きつい言い方で気分を悪くさせてしまうかもしれませんが、2000円という額 でさえもチャレンジを社会の中に生み出すために使えないというような考え方の人間がたくさん いる社会では、21世紀、私たちはもう社会を維持していくことはできません。

チャレンジャーを応援し、2000円出す。その結果、そのチャレンジャーがチャレンジに失敗 すれば、当然、その2000円はお金を出した人のもとには返ってこない。その責任は出した人 本人にあるし、チャレンジャーは2000円を応援者に返す責任なんてものもない。これがチャ レンジ応援の1番の根幹となる部分です

そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、しかし、何もこの考え方は今新しく生まれた概念では なく、16世紀に、オランダで東インド会社という、世界で始めて株式会社という概念が生まれ た時にできた、世界の約束事です。(有限責任とリスクシャエ)もう400年以上も前にできた 古い約束事なのです。この約束を作ったことにより、世界は爆発的な発展を遂げることになった。 この、チャレンジャーはチャレンジに失敗しても出してもらった資金を返さないでもいいという約 束ができたことによって、人類は飛躍的に革命的な発展を享受することができるようになった。 (もちろん、成功すれば、たくさんのものが返ってくる。私の出版のチャレンジの応援の場合は、 成功すれば、小説が手に入る)

日本人は気付いていないかもしれないが、今私たちがこれだけ便利で豊かな生活をできるように なったのも、すべて、「チャレンジャーはチャレンジに失敗したら、出してもらったお金は返さ ないでもいい」という概念を人類が発明したからに他ならない。しかし、そもそも、チャレンジ に失敗したら、どう責任を取るのかという発想自体、もうこれはチャレンジを応援しようという 発想でもなんでもない。ただ、それはお金を貸す借りるというやり取りでしかない。チャレンジ ャーがお金を借りて、チャレンジするのであれば、当然、失敗したら、その借りた分のお金をチ ャレンジャーはお金を出してくれた人に返さないといけない。チャレンジに失敗してもだ。それ が「融資」というものであり、日本の社会においてはすべて、この「融資」というやり取りで物 事が動いていた。そして、今もそれを主体として動いている。

だから、チャレンジにお金を出すのはいいが、チャレンジに失敗したら、その責任はどうやって 取るのかという発想になる。しかし、チャレンジャーを応援するというのは融資ではない。20 00円なら2000円分で思い切り、チャレンジしろ。失敗しても良いから、失敗を恐れず、思 い切りチャレンジしろ、そういってお金を出すお金こそが、チャレンジを応援するという行為な のである。失敗したら、どう責任を取るのかなどという発想とは、およそかけ離れた、失敗する ためにお金を出すというのが、チャレンジを応援するということなのである。チャレンジ精神の を評価して、その価値を認め、その価値の分だけお金を出して応援してやるという行為なのです。

え?じゃあ、失敗したらお金が返ってこないのなら、チャレンジを応援する行為は損することに なるじゃないか?そう思う人がいるだろう。失敗したら出したお金が返ってこないのなら、そん なものに好き好んでお金を出す人なんていないよと思う人もいるだろう。こういった卑小で狭い 自分本位な発想しか持てないことが現在日本の最大の病なのだが、しかし、本当にチャレンジャ ーを応援することは損することなのだろうか?チャレンジャーに失敗を恐れずチャレンジしても らうために、応援の資金を出す行為は損する得するといったような、そんな低次元の話だろうか? もし、その社会にいる人の多くが、チャレンジャーを応援してお金を出すという行為が損する行 為だと考えていたり、まったく関心さえ持っていないとすれば、もう、その社会は社会としての 体を成していない。その事実に気付くべきだ。

チャレンジを応援するという行為は、21世紀において、社会そのものを成立させる、成り立た せる、もっとも根本的な部分において、社会の中に必要とされる行為なのである。応援者という 存在が、その社会の中で担っている、重要な役割を認識できないというのなら、それはもう本当 に社会の末期的な症状だ。21世紀において、チャレンジャーを応援するという行為は、個人の 思考や好み云々ではなく、まして損得云々ではなく、その社会が社会として成立するかしないか という、最も1番土台の部分の作業なのである。その認識がないという部分が、日本の社会の末 期的な状態を如実にあわらしている。

冷静に考えてもらいたい。例えば、チャレンジするのに1000万円がいったとします。それを融資 しますが、チャレンジに失敗したら、その1000万円がまるまるあなたの借金になります。という 状態で誰がチャレンジしようと思うだろうか?そんなことは3秒考えるまでもなく、チャレンジは 辞めるだろう。私だってやめる。これが健全な人の考えです。1000万円借金してもいいぜ、おれ はやるぜというような人は、およそ博打好きな変な人でしょう。それはチャレンジ精神や勇気とは まったく別のものです。しかし、なぜか日本では、特攻精神というか、背水の陣というか、そうい うのが好きらしく、1000万円借金してでもやるというくらい出なければチャレンジなんてものは成 功しないという、おかしな精神論がはびこっています。

竹やりで戦闘機を倒すというような発想が未だに残っています。その結果、毎年自殺者が3万人も 出ていてもまったく日本人は平気なのですから、よくこれで平和の国などと言えたものです。びっ くりするくらい、日本人は冷酷です。しかもそのことに無自覚です。何もしないのほほんと生きている者た ちが、果敢にリスクを取ってチャレンジする者たちを無残に残虐している、それが日本の社会の裏 の一面だと私は強く思います。ま、こういう社会ですから、当然、健全な人は誰一人としてチャレ ンジしようとも思いませんし、チャレンジすることもありません。

もう、日本は50年前のように、焼け野原でもありません。個人という視点から見れば、食うために 無理して、是が非でも、何が何でも何かにチャレンジしなければ、生きていけないという社会では なりません。食べていくだけなら、コンビニで働いてでも食べていくことができます。ですから、チャレンジに失敗したら、1 000万円の借金が残るというような状態では、誰も無理にチャレンジするようなことはしません。 エリートはエリートで大企業に勤めていれば、安泰です。やれ、今は大企業も厳しくなっていると はいっても、チャレンジャーの過酷さとは比になりません。大学生が皆、大企業を目指すというの を見てもそれは明らかです。ですから、チャレンジしてもいいが、1000万円の借金が残りますよと いう仕組みの社会では、チャレンジするという概念がどんどんなくなっていってしまうのです。

さらに、日本はもう50年前のように、アメリカというお手本を真似して、それをキャッチアップし て生きていけばいい社会ではなくなっています。いつの間にか、世界第2位の経済大国になり、世界 の最先端に立っています。自分たちでフロンティアを開拓していくしかないという立場に立たされ ているわけです。リスクを恐れず、新しいものを創造していかない限り、ご飯を食べていけないと いう状態に、社会全体がなっているのです。ご飯を食べる、飯の種が、「チャレンジ」になっている 社会なのです。その社会に、チャレンジがないとなれば、社会が成り立っていかないというのはサルでも 分かることです。

こうした状況を考えれば、「チャレンジ」をどんどん生み出す仕組みが社会の中にないと、私たちの 社会が機能していかないというのは、誰が見ても明らかなことです。そして、じゃあ、そのチャレンジを どんどん生み出すための仕組みがどういったものであるかというと、それがチャレンジを応援する人、 チャレンジに失敗しても良いから、チャレンジしろといって、少しずつチャレンジの資金を出してくれる がいて、そのリスクマネーを基にして、チャレンジをどんどん生み出していくということ以外に、方法は ないのです。

ですから、チャレンジを応援するという行為は、私たちのこれからの社会の根本を作 るという行為なのです。 チャレンジャーその人だけのためにする行いではなく、社会の成り立ち、根本を作るために、その社会 に住み皆が意識しなくてはいけない行いなのです。ですから、チャレンジに失敗したら、どう責任を取るの かなんて発想はまったく意味のない発想です。チャレンジャーは失敗してもいいのです。失敗しても良いか ら、どんどんチャレンジしてください。私たちがチャレンジを応援しますから、日本の社会のためにどんどん チャレンジしてください。そして、そのたくさんの失敗の中から、大きな成功を1つ作り出して、それをもと にご飯を食べていく。これが21世紀の日本社会のルールであり、チャレンジを応援するということなのです。 これがチャレンジとチャレンジ応援の1番大きな理念です。

この理念に賛同してくださる方がいれば、私の チャレンジを応援して下さい。おべんちゃらは言いません。応援してもらうために口にいいこともいいません。 私がこの出版プロジェクトで創りたいのは、小説ではなく(ものとしては小説ですが)、チャレンジャーと応 援者によってチャレンジがどんどん生み出される社会なのですから。この、失敗しても良いからチャレンジし ろという理念をたくさんの人に伝えることが私の使命です。この理念に賛同してくださる方は、私の小説出版 を応援して下さい。お願いします。

小説出版プロジェクトのトップページに戻る

 
才谷屋トップページに戻る
メールマガジン登録
「才谷勇蔵小説出版奮闘記」
 
出版のお金を出す
チョイスカテゴリー1
才谷屋トップページへ
才谷勇蔵自己紹介
出版企画詳細説明
出版プロジェクトの精神
チョイスカテゴリー2
メールマガジンの購読
財務に関するご報告
出資者の皆様のご紹介
温かいメッセージ一覧
当サイトの商品説明
   商品名 :
   「小説出版のお金を出す」
   価格 : 1口 2,000円 から
   お支払方法 :
   銀行でのお振り込み
出資お申込みファーム
 お名前 :
 
 出して下さる金額 :
 2,000円 ×
 メールアドレス :
 
 
copyright © 2002 saidaniya yuzotei. All rights reserved.