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| この国に足らないものは応援者という概念 |
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「この国にはお金を出す人という概念が存在していない」
この豊かな国日本、何でもある国日本、それなのに、そこに住む日本人は決して今の日本を
好きではないし、何か変だなという思いを抱きながら、日々陰鬱な思いで暮らしています。
これはやはり決定的に、何かおかしい、私はずっとそう思ってきました。世界第2位の経済
大国であり、それだけ豊かなら、そこに住む人は当然、それだけ豊かな生活を享受できるは
ずだ。なのに、そこに暮らす人々は、決して健やかに楽しくイキイキと暮らしていけていな
いのです。そこには何か大きな「足らないもの」がある、私はそうずっと思っていました。
それは決して日本人のモラルが下がったとか、日本人の質が落ちたからといったような、そう
いったものではなく、もっと概念的であり、仕組みとして、社会の制度として日本には何かないも
のがある。私はそう思ってきました。そして、私は自分がチャレンジしようと思ったときに、
この国に存在していないあるものの存在に気が付いたのです。それが応援者という概念であり、
お金を出す人という概念だったのです。この国には、お金を出す人という概念がすっぽり抜け
落ちています。日本人の頭の中には応援者、お金を出す人といった概念が存在していないことに
気付いたのです。
実は、何かことを起こす場合、それを実際にやろうと思えば、お金を出す人がいないと、何も始
まらないのです。私たちが日々行動しているあらゆることは、すべて、お金を出す人という役割
を担う人がいて、初めて成立しているのです。学校に行くにしても、お店でパンを買うにしても
電車に乗るにしても、すべて、その始まりは、その活動に対して、お金を出す人から始まってい
るのです。私たちはそんな簡単なことを忘れていました。世の中に存在するあらゆるものが勝手
にどこからかぽっと生まれてきて、目の前に存在しているかのように、考え、そこにお金を出す
人、応援者という役割が存在しているということになど気にも留めていなかったのです。それが
日本の社会に決定的に欠けている部分でした。
どんなに社会の中に志高い人がいても、どんなにすばらしい人がいても、そこにお金を出す人と
いう役割を果たす人がいなければ、それは何もないのと同じなのです。だから、応援者、お金を
出す人という役割は社会にとってとてつもなく重要な役割なのです。1番重要な役割といっても
言い過ぎではないでしょう。、そのお金を出す人が日本にはいないのです。お金を出す人という
概念が日本の社会にはないのです。これでは何も生み出されないし、何も始まりません。応援者、
お金を出す人、それを車に例えれば、それはガソリンです。エンジンを動かすガソリンの役割、
それが応援者であり、お金を出す人なのです。どんなにすばらしいエンジンがあっても、ガソリ
ンがなければ、それはただの鉄くずに過ぎません。
日本に素晴らしい人がいない、素晴らしいものが生み出されないというのは、そういった人や創
造力。そのものがないからではなく、素晴らしい人の才能をいかしたり、創造力というエンジン
を動かすためのガソリンと、そのガソリンを提供する人がいないというだけのことだったのです。
ですから、言い換えれば、この日本の中に、新たに、応援者、お金を出す人という概念を日本人
全員に知ってもらうことができれば、日本はそこから動き出します。何をするにしても、そこに
はお金を出す人という役割が必ず必要なのです。その役割を担う人がいなければ、社会は動かな
い。そのことを私は皆さんに強く強く知ってもらいたいと思いました。
私たち日本人は、応援者、お金を出す人という概念を持たなかったばかりに、世界第2位の経済
大国でありながら、その豊かさを自分たちの生活の豊かさに還元することができていなかったの
です。20世紀の私たちの社会においてお金を出す人という役割を演じてきたのは、政府であり、
銀行でした。彼らが国民から税金や預金としてお金を集め、彼らが「お金を出す人」となり、企
業や人々に資金を提供していたのです。政府や銀行が一手にお金を出す人という役割を担っていて
くれたため、私たち自身は、社会の中で生きていく上で、お金を出す人という概念を意識する必要
はありませんでした。そのため、私たちは、社会の中でものは勝手にどこからか生まれてくるもの
だと認識してしまっていたのです。
しかし、ご存知の通り、もはや、政府にも銀行にも、お金を出す人という役割を演じる力はあり
ません。政府は無駄な公共事業にお金を出すことしかできず、銀行は意味のないものにお金を出
し不良債権の山を築いてしまうだけなのです。もはや、彼らが今、健全な状態に戻ったとしても
彼らにお金を出す人という役割を担うことは無理でしょう。なぜか?それは簡単なことです。彼
らはお金を出すとき、決して応援者ではないからです。応援者でないというのは、イコール、そ
のお金を出した先がどうなっても、自分の腹は痛みません。どんな相手に、お金を出そうとも、
それが失敗しても、政府の官僚は1円も痛い思いはしませんし、銀行も同じです。だから、それ
は必然的に意味のないものや無駄なもの、マイナスにしかならないものにお金を出すということ
になるのです。
その結果が今の日本の社会の状態です。しかし、応援者は違います。変なものにお金を出せば、
直接自分の腹が痛みます。わけのわからない人にお金を出して損すれば、それは全部自分のマイ
ナスとして自分に直接降りかかってくるのです。そうなれば、当然、応援者は、お金を出すとい
う役割を担うとき、お金を出す人に対して、厳しくその資質や情熱や信条を審査するでしょう。
そして、その結果として、自分が本気でこの人を応援したいと思わない限り、自分の大切なお金
を出すことはしないでしょう。この過程こそが1番重要なのです。社会の中に作り出さなければい
けない重要なプロセスなのです。
腹の痛まない政府や銀行がお金を出すという時代は20世紀で終わりです。これからは私たち自身、
私たち1人1人がお金を出す人という役割を自分たち自身で担っていかないといけないのです。そ
れが21世紀という社会なのです。誰任せにもできないし、誰かに任せるなんてことは決してして
はいけません。何かを生み出す始まりは、すべてお金を出す人、応援者からしか始まりません。
お金を出す人というのは、生命を生み出す人なのですから。その誇りを私は忘れて欲しくないし、
強く、みんなに心に刻んでいて欲しいと思う。日本に欠けているのは、ただ1つ、応援者、お金を
出す人という概念です。私はこの出版プロジェクトを通して、この概念を日本の社会の中に作り
出したいと強くそう思っているのです。
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