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vol.89 「仁王像の金網と信頼と奈良時代の滅亡」 vol.90 へ
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     週刊 才谷勇蔵 『  小説出版奮闘記  』
                       2004/09/18 #89
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■□プロジェクト704日目□■
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃パンパカパーン!今週出版のお金が790,157円を突破です ┃
┃ありがとう。次の目標は9月中に出版資金800,000円突破 ┃
┃先週集まったお金は2,890円、後9,843円ファイトです!┃
┃どうぞ今週も皆様の温かい声援を心からお願い申し上げます。 ┃
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★お金を出してくれた方      159名(今週+1名です)
★出版登山達成度        39.507% (+0.144%)
★今週のウェブ順位   325,280位      (±0)

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今週の出版達成予定日:2005年06月13日(月)[↑02日]
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 ありがとうございます。出版まであと120万9,843円になりました!
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┃     ■□小説出版プロジェクトの活動に参加する□■    ┃
┃   http://www.yuzo.net/fc/ad/welcome/ouendan/index.html   ┃
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『今日の目次』 ・今日で700日目です
        ・仁王像の金網と信頼と奈良時代の滅亡
        ・勝つことと勝ち続けること
        ・勝つために1流になるために今の柱を捨てる
        ・今週の財務内容についての報告

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■■■          今週のご報告
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皆さん、こんにちわ、才谷勇蔵です。

今週で出版プロジェクト開始から丸700日です。1000日後には
小説の出版を実現したいと計画したので、後300日、全力でがんば
っていこうと思います。何をするにも1000日やってみろ、そうす
れば一応の形ができる、そう教わったことがあります。1000日が
どういった重みを持っているのかというのはたぶんそれを実現した本
人にしか分からないことだとは思います。だからまだまだ700日の
私には、1000日の重みは分かっていないでしょう。1000日後
にはわかるでしょうか。ちょっとワクワクしてしまいます。

1000里の道も999里まで来て半分です。700日の私はまだま
だたくさん成長できそうですね。だって、私にはわからないことが正
直たくさんあるのですから。見えないことも多々あります。歩みは止
めませんが、本当に自分には分からないことだらけだと思うことばか
りです。へたくその上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目と
言います。正直諦めませんし、生きている限り、意地でもチャレンジ
し続けゴールを目指し続けます。何も考えられなくても、足を前に出
し続けますが、本当にとにかくやり続けることだけは辞めませんが、

本当にわからないことはたくさんあります。分からないと言うことを
自覚できただけでも一歩前進なのでしょう。でも、掴んでもつかんで
も掴みきれないもどかしさは多々あるのです。ドンキホーテの気持ち
ってこんな気持ちだったのかなと少し思ったりもします。変なプライ
ドや思いや固執は捨ててしまえばいい〜、そこから始まるさ!という
ことなのでしょう。きっとそう思います。ちょっと違うような気がし
ますが。

わからないことはわからんのです。そう割り切るしかないですね。い
や、正直何が分からないのかさえ、わからないのです。そういう気持
ちになる時もありますよね。私も人間ですし、健全な1、若者ですか
ら。わからんこともあると割り切れるまでには時間がかかりそうです。
そういう意味では大人はやはりすごいのかもしれません。私がへチョ
イだけかもしれませんが。こんな風にぐるぐるぐるぐるくだらないこ
とを考えるのは若者だけですね。

そんなくだらないことを考えている時間はない。そう言われてしまい
そうです。ま、人間得意なこととそうでないことがありますからね。
あまり、得意でないことを悩んでもしょうがないですね。できること
とできないこと、でもできないことも諦めたくないんだよなー、何で
も知りたいんだよなあー、これって欲張りさんなのかな。今日はちょ
っと、私の悩み事を書いてみました。

才谷大丈夫か、スランプかと思われてしまいますが、いや、いたって
元気ですから、大丈夫です。たまには少しぐらい頭を使わないとボケ
てしまいますからね。たまーにはこんなことも考えるくらい、高尚な
人間だと言うことにしておいて下さいね。


「東大寺南大門の仁王像に見る悲しい現実」

先日、東大寺へ遊びに行きました。久しぶりに見た東大寺はめちゃく
ちゃ大きく、それはもうびっくりするくらいの悠久の時間を感じさせ
るたたずまいで、よくこんなものを作ったなあと感心せずにはいられ
ませんでした。東大寺というのは奈良にあり、国宝の東大寺南大門の
運慶快慶が作った仁王像があるお寺です。本当にびっくりするくらい
の大きさなのですが、ただ、今ある東大寺は江戸時代に兵火に見舞わ
れ、消失してしまったものであるらしく、昔の東大寺は今の3倍もあ
ったそうです。

いやはや奈良時代にどうやってこれよりも3倍も大きな建物を作った
のだろうかとつくづくびっくりしてしまった次第です。本当にあんな
大昔にこんなでっかいものをどうやって作ったのか疑問です。こんな
スケールのでかいものを作ろうと考える人がいたんだなあと思うと技
術がどんどん発達しているにも関わらず、時代が経るにつれ、人間の
スケールは小さくなっているのかなとも感じました。あれはできない
これはできないとできない理由を言うばかりです。できないなんてこ
とはあるわけないわけです。

こんなすげえ建物が1000年も前に作れたんですから、やろうと思
えば人間なんだってできるわけです。物理的に。それができないのは
ただやろうとしないだけであり、勇気がないだけなのです。今やるべ
きことを知りたければ、本屋さんに行けば全部書いてある。それなの
にできないということは結局やろうとする意志と行動する信念がない
からだと。トヨタの会長さんが言っていました。まさにその通りです
ね。まあ、ちょっと話が脱線してしまいましたが、今日は言いたいの
は東大寺の南大門にある仁王像の話です。

この運慶と快慶が創った仁王像、これもまあ半端ないスケールの度肝
を抜かれるほどすごい作品です。これはもう天才とか言うレベルの話
ではなく、神がかったほどの圧倒的な力強さと繊細さを同時に見る人
に降り注ぐといったらいいのか、そういうくらいのレベルの作品です。
神が人間界に落としていった作品と言えばいいか、そういったスケー
ルです。本当にびっくりして鳥肌が立ったのですが、まあ小さい頃に
は何度も東大寺には遠足等で行ってこれを見ていたのですが、その時
は「すんげーな」くらいにしか思えませんでした。

まあ、自分自身も大きくなって、そのすごさがわかるようになったの
かもしれませんが、新鮮な驚きを久しぶりに味わうことができました。
ただ、ただです、いつもいつも思うのですが、あの金網はどうにかな
らないのでしょうか?あれだけのすごいものが本当に台無しです。金
網越しでなく、間近にこの像を見たら自分はどんな風になるだろう、
どんな心境が心の中に浮かぶだろうかと想像しただけで体中が熱くな
るのを感じます。

しかし、金網があるわけです。興はさめませんが、欲求不満がはなは
だしいです。爆発させたい創造力のエネルギーが代謝せずに自分の中
にくぐもってしまうようなめちゃくちゃに気持ちが悪くなる、イーと
いう感じが体全体を覆いつくすのです。どうして、どうして金網で覆
ってしまうのでしょうか?私たちが間近でそれをじっくりと見れるよ
うに金網をどかさないのでしょうか?それが私にとっては不思議でな
りません。

こういうことを言えば、「金網がないと貴重な像を触ろうとする人間
が出てきて、貴重な像が傷つくかもしれない。だから金網が必要なん
ですよ」っていう人が間違いなく出てくるでしょう。本当にもう「は
ー?」という思いです。「イタリアにあるミケランジェロのダビデ像
はこんな風に金網でぐるぐる巻きにしてありますか?」と聞きたいで
すね。普通にダビデ像はマジかで見ることができるわけです。直接見
ることができるわけです。

ダビデ像でさえ、金網なく見れるのに、どうして仁王像は金網越しで
ないと見れないのか?仁王像がダビデ像の10倍の価値があるものだ
からですという理由なら私も、あ、だからなのかと納得します。でも
実際にはそうじゃないでしょ。両方とも神の落し物レベルの貴重な作
品です。それなのに、一方は普通に見れて、一方は金網ぐるぐる巻き。
これはもう少し考えたほうがいいです。何で、仁王像が金網でぐるぐ
る巻きになっているか、それは悲しいことですが、日本には「信頼」
というものがないんですよ。もっと言い換えれば、人そのものに対す
る信頼、知性に対する信頼という概念がないんですよ。

金網がなければ、傷つけられる、こういう発想にしかならないわけで
す。そこには「信頼」の「し」の字も存在しません。だから、金網に
なるのです。本当に安直というか、無知性というか、残念でなりませ
ん。はっきり言ってですね。金網がなければ、仁王像が壊されるなん
ていうような低俗な社会であるのなら、それこそ、そんな社会に運慶
の仁王像があっても猫に小判、馬の耳に念仏です。仁王像が存在する
意味なんて何1つもありません。

一度信頼してみて、金網をはずしてみようよ。そうしないと本当に何
も始まらないよ。もしかしたら、仁王像を壊そうとするような奴が現
れるかもしれないけれども、それを絶対に許さないという雰囲気を社
会の中に作り出していこうよ。そうすれば、仁王像が社会に大きな貢
献を果たすことになる。本当にあの仁王像と目の前で人が対峙すれば、
心の中に眠っている潜在的な何かを目覚めさせるくらいのパワーがあ
る。あの仁王像を見て、すごい創造力を目覚めさせる人が大勢出てく
ると思う。

社会がそういう状態になれば、何も金網がなくても、仁王像を公開で
きるような、「信頼」というものが社会の中に生まれると思う。本当
に日本に足らないのは、政治にしても経済にしても教育にしても信頼
という概念なのです。金網がないと像が守れないなんていう社会は本
当に異常です。それに一部そういうことをするおかしな人のために多
くの普通の人が犠牲になる、そういうことをしてはいけない。やはり
像も重要だけれども、それ以上に私たち人間がいかに健全に心高く生
きることができるかどうかということのほうがはるかに重要だ。

言ってみれば、運慶の仁王像も、そんな心高い人間を創り出すために
存在しているといってもいいと思う。それが金網で囲われていては何
のために存在するのか、意味が分からなくなる。本末転倒もはなはだ
しい。安直な手段に頼ってはいけない。像を守るためにと、簡単な安
然な方に流れては決していけない。金網で囲えば、確かに像は守れる
かもしれないが、それは決して本来の解決策にはなりえない。像を守
りたいと思うなら、安直ではない解決策を知恵から見つけないといけ
ない。

そのためには、結局、像を間近で見えるように開放し、その中から答
えを人間達が見つけていくしかないわけだ。これだけ素晴らしい像が
あるのだから、その像を大いに開放し、その像と直接触れない、その
結果としてその価値の分かる人間を育てていく、そして、そんな素晴
らしい人間をたくさん作り、像を守る。そういう方法を取らないとい
けないし、まさにこの仁王像はそういった素晴らしい人間を作るため
に存在している。

素晴らしい人間を育てるには、目の前で裸同士で、この像と対峙する
以外にない。そういったすばらしい素養というのは、こういった素晴
らしい像と生に触れ合うことでしか。人には身につかないのです。本
を読んだりするだけでは身につかないのです。実際に肌で像と触れ合
うことでしか、像を大切にしていこうという様な素養は身につかない。
金網で囲っている限り、いつまでたっても、人は像の価値を知る素養
を身につけることはできないのです。

仁王像はただの飾りではない。人を向上させるために存在するものだ
と思う。それだけのスケールがある。きっと21世紀の未来を担うよ
うなすごい能力を備えた若い人がこの像に触れたら、一気にその能力
を開花させることだろうと思う。それを感じさせるだけのものが南大
門の仁王像にはある。震えたつ何かを伝えるスケールがある。それと
触れる機会を奪っているというだけで、どれだけの才能を眠らせたま
まにしているのかと思うと本当に残念極まりない。それは何も東大寺
だけではない。日本中あらゆるところで見受けられる現状だ。

野球場もそう。フェンスでぐるぐる巻き状態だ。決して生で野球選手
に子ども達が触れることができるわけではない。これでは感じること
ができない。肌と肌で感じることができる、一流と呼ばれる人ならば
感じることができる、何かを伝えることができない。それが日本の野
球とメジャーのベースボールとの違いなのだ。人間は感じることがで
きる生き物なのです。それを閉ざしてしまっては息ができなくなって
死んでしまう。創造力という花は豆腐のようにもろく繊細なものなの
だ。それは感じることでしか発揮されない能力。そのことを日本の社
会は忘れている。

創造力は「信頼」がないと生み出されない。信頼がない社会では創造
力の会話である、感じるということを閉ざしてしまうから。想像する
とは信頼すると同じ意味だと私は思う。創造力がない場所には信頼も
ない。信頼がある場所には創造力がある。そんな関係のものだと思う。
信頼がないところでは、リスクをとるという概念もないだろう。だっ
てリスクを取るという行為は未来がどうなるか分からないところに一
歩足を踏み出すことだ。当然、信じることでしかない。そこに信じる
ものがあると信じ、勇気を出して足を一歩踏み出すことだから。

リスクをとる、信頼、勇気、創造力、本当にどれもどれも今の日本に
はどれ1つとして存在しないものだ。逆に言えば、創造力がある社会
には、リスクをとるという概念もあるし、信頼もある、勇気もある、
全部あるだろう。だって、どれもそれ単体では存在しないし、互いに
それぞれ結びつきあっているのだから。そんなことを強く強く思う。
信頼をもとにして、勇気を出してリスクを持ってチャレンジする所に
新しい創造物は生み出される。すべての原点は信頼だ。信頼がないと
勇気も出せない。リスクも取れない。チャレンジもできない。自ずと
創造することもできなくなる。

信頼することってできないのかなあ、無条件に信じることってできな
いのかなあ。でも、信頼は人間という生き物自体を信じること以外に
は生まれてこないよね。というか、私たち人間が人間という生き物自
体を信じることができないなら、それはもう生物として「終わってい
る」よね。末期的な状態だ。でも、私は信じている。人間という生き
物を信じている。情熱と志を持って人がチャレンジする心を忘れない
限り、それが心にある限り、私はやはり人という生物を信頼すること
ができる。少なくとも自分を信じることができる限り、私は人間を信
じれる。

人間は機械ではない。ものではない。フェンスで仕切ったり、金網で
仕切ったり、それはやってはいけないことなのだ。人間というものを
1番大切にする寺社で、仁王像が金網で閉ざされているのを見て、と
ても残念に思った。あれでは、仁王像が泣いている。死んだも同然だ。
そんなことを思うとどうして奈良という、東大寺を中心した奈良時代
が滅んで、京都に都が移ったのか、分かったような気がした。奈良時
代が滅んだのは人がいなくなったからだ。信頼がなくなったからだ。
それを今こうして東大寺の南大門を通して知らされることはなんとも
皮肉なことだ。こんなことを奈良から法隆寺に向かう電車の中でふと
考えたりしながら、久しぶりの奈良見物をしてきたのでした。

でも、もちろん、奈良見物はめちゃんこ楽しかったですよ。東大寺は
本当にめちゃんこでかかった!あんなのを作りたいなあー!


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■■■          今週のテーマ
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「勝つことと勝ち続けること」

私には、正直勝ち続けることの意味もその価値も分からない。なぜな
ら、私は勝つことというステージというか、そのレベルで戦っている
人間だから。正直目の前の勝負に勝つこと以外、考えることはできな
い。だから、私には勝ち続けることの意味を頭ではもちろん、価値の
高いことなのだろうなあーと知識として理解することはできるが、そ
の意味を魂で感じることはできないのだ。

正直、私には勝ち続けることの意味がまったくわからない。どうして
勝ち続けなくてはならないのかというのがわからない。そりゃ、負け
るよりも勝ち続けることのほうがいいに決まっている。誰だって負け
たくないのだから。でも、勝ち続けるためには、まず目の前の勝負に
勝つことが何よりも1番目のハードルだ。とにかく目の前の今あるこ
の勝負に勝たないことには、勝ち続けることなんてできないわけ。な
らば、まず勝つことが一番重要だ。その勝つこと以外何も考えること
なんてできない。そう思う。

勝とうとしている時に、ぎりぎりの勝負をしている時に、勝った後に
また勝とうとか、次の次も勝とうとか、はっきり言って目の前で勝負
している時に考える余裕なんてまったくない。そんなことを考えるよ
うな余裕や隙があるとしたら、目の前の勝負に負けてしまう。と私は
思うのです。だから、勝った後のことなんて今から考えることなんて
できないと思うのです。

でも、この考え方ではダメなのかもしれない。勝ち続けることの意味
勝ち続けることの価値を体で感じることができる人しか、勝つことが
できないのかなとも思う。正直どちらが正しいか分からないんです。
ただ、分かっているのは今の私には勝つことの意味しかわからない。
そして、勝つことの意味を心に大切にして、目の前の勝負に臨むとい
う以外に、私が戦える方法はないということです。

たぶん、これは私の推測ですが、こんな風に、戦う人というのは皆、
戦っているがゆえに勝つことと勝ち続けることの意味という壁にぶつ
かるのだと思う。勝ち続ける意味を知らないといけないのではないか
と。でも私は実はそれは幻でそんなものは存在しないんじゃないかと
思うんです。人間には勝つことしか、その意味しか、目の前にある1
番目の前にある戦いに勝つために努力したり、精進したりすることし
かできないと思う。だって、イチロー選手のヒットだって、1回に1
本しか打てないわけですから。2本も3本も打てるわけではない。そ
して、たくさんのヒットの積み重ねというのは、そうした1打席1打
席を大切にできたかどうかで積み重なっていくわけのだから。

だから、勝つことだけを、目の前の一戦だけを考えて全力をつくすと
いうので正解だと思うし、それしかできないのではないだろうか。と
まあ、こんなことをオリンピックの野村選手と柔ちゃんと井上康生選
手の柔道の試合を見ながら思ったわけです。野村選手と柔ちゃんは勝
つことを大切にした。康生選手は勝ち続けることの意味を探そうとし
た。その違いなんじゃないかと私は思ったのです。人は勝つことしか
できないんです。勝ち続けることはできないんです。

そして、勝つには勝つための心の柱となるものがないと勝てないんで
す。言ってみれば、自分が試合に臨もうとする意味です。理由、意義
といってもいいかもしれない。上のレベルに行けばいくほど、そうな
のです。自分が試合に臨むのはなぜか、自分がチャレンジするのはど
うしてか、その思いが明確であればあるほど、強ければ強いほど、人
間は大きな力が出せる。だから、その力が大きい人が勝つ。そういう
者だと思うのです。

柔ちゃんと野村選手は「勝つ」というステージで戦った。彼らは勝ち
続けると思って戦ったわけではなかった。なぜなら、彼らは勝つため
に生まれ変わっていたからだ。今までの自分とは違う自分に生まれ変
わっていた。前の自分は自分であって自分ではない。記録としては延
長だが、そこにいる自分は前に戦っていた自分ではなかった。

そう、彼らは結婚した。野村選手も柔ちゃんも結婚し、新しい自分に
なった。前戦っていた理由とはまったく異なる理由を胸に掲げていた。
それは家族の中での一柔道かとしての自分という意味において戦うと
いう気持ちに切り替わっていたのだ。だから、野村選手も柔ちゃんも、
前回とは戦う意味が、理由が心の中にあるものが違っていたのだ。勝
ち続けたのではなく、勝つだったのだ。家族の中で、その絆の中での
自分の意義、家族の意義を証明する、そういった勝つ理由があったの
だと思う。そうでなければ逆説的に勝ち続けることなんてできないん
だ。

逆に井上康生選手は以前のままだった。新しい次の戦いに対する意義
を見出すことができなかった。だから、勝ち続けることという幻想を
探し続けることしかできなかった。それは決して人の心を支える柱に
はなりえない。だから、勝てなかった。野村選手は言っていました。
どうして勝ち続けることができるのかと聞かれて、私は勝ち続けたの
ではなく、1回目は何がなんだか分からず、とにかくがむしゃらにや
った、若い体力の勝負だった。2回目は負ける気がしなかった。自分
の持っている技を存分に発揮することしか考えていなかったと。

3回目、今回は心だった。自分がやってきたこと、家族のこと、そう
いったものすべての集大成を形にする、そういう思いで望んだ。こん
なことをテレビで言っていた。心・技・体、それぞれ、違ったものだ
と。

人は勝つことしかできない。目の前の勝負のことだけしか考えること
はできない。そんな先の先のことまで、考える必要はないと思う。も
ちろん、計画し、未来にどういう姿になりたいのかを想像し思い描く
ことはとても重要なことです。でも、それが思い描けて行動に出ると
きは、目の前の戦いに持っている力を全部注ぎ込まないといけない。
勝つというのはそれだけ難しいことなのだと思う。本当にどうすれば
勝てるのかなんてまったくわからない。分かっているのは、それでも
やるしかない。いやそれだからこそやるしかないということだけだ。

そんなことをオリンピックの柔道を見ていて思いました。なんか、8
月にオリンピックのことに触れるのがいやで今日まで書きませんでし
たが、これは9月15日の水曜日の夜に書いてますよ。次もオリンピ
ックネタです。


「勝つために、1流になるために今の柱を捨てる」

これは卓球の福原愛選手が言っていたのですが、勝つためには、1流
の選手になるためには、今まさに自分の1番の柱となっているまさに
その武器を捨てることができないと、1流の選手になることはできな
い。そう言っていました。この意味、めちゃくちゃ深いです。

愛ちゃんはこのオリンピックに行く前に自分のラケットを代えたんで
す。今まで使い慣れた、自分の特徴である、長所である、スピンをよ
り強くかけることのできるラケットから、強くボールを打つことがで
きるラケットに変えたのです。自分の卓球の生命線である1番の柱で
あるスピンをより強くかけることのできる、1番最適の1番の武器を
捨てて、より強くポールを打つことのできるラケットに変えた。

しかも大一番の大目標であるオリンピックを前にして。どこかの予備
の試合でそう試すようにするわけではなく、オリンピックの前でとい
うか、オリンピックだからこそ、彼女は自分の最も1番大きな武器を
捨てた。これはもう鏡のようなすばらしい境地ですね。まさに彼女は
本物です。もしかしたら、そのままのラケットを使っていた、彼女は
もっとオリンピックで結果を出せたかもしれない。しかし、そこから
先の発展はない。

この選択はまさに自分が本物の一流選手になるために彼女が選択した
ものです。そして、自分の武器であるスピンを捨てたわけでもないの
です。本物の1流選手、それはやはり強いボールを打つ、それが根本
にあるわけです。強いボールが打てて始めてスピンも生きる、強いボ
ールが打てないと相手の強打を封じ込めることもできない。上に行け
ばいくほど、強打が占める割合というのは増えてくる。だから、どこ
かで決断しないといけない。

どんな代償を払っても、強いボールを打つというスタイルに脱皮しな
いといけない。そして、それは早くそちらに移らないと、決断を先延
ばしにしてもいいことはまったくない。どんどん状況は悪くなる。先
延ばしにすればするほど、移行することはどんどん難しくなり、成功
する確率も下がる。だから、彼女はオリンピックの前に今の自分の1
番の武器を捨てたわけです。本物の一流選手になるために。

それでも、この決断ができるのは容易なことではない。今までの一番
の武器を捨てるわけだから。これは誰にでもできることではありませ
ん。当然、切り替えたときは思うように行かないでしょう。成績も下
がるでしょう。もしかしたら、うまく行かないかもしれない。リスク
だらけです。でも彼女は決断した。トライした。チャレンジした。1
流の選手になるために。めちゃんこ素晴らしいことだと思う。

メディアもこういう部分をテレビや雑誌を通して取り上げてもらいた
いなと強く思う。キャピキャピしたような部分だけではなく一流のア
スリートとしての部分、そこにこそスポットライトを当てて欲しい。

この1番の武器を捨てて1流選手に脱皮するという行為を行ったのは
何も愛ちゃんだけではない。野球ではあのヤンキースの松井選手もま
ったく同じことを言っていた。松井選手も卓球の愛ちゃん同様に、本
当の一流選手になるために自分の1番の武器を捨て、新しい武器にト
ライしたといっていた。

松井選手といえば、日本でホームランを300本以上、1年で50本
も打った選手です。言って見ればこの時点で超一流です。1年間に5
0本もホームランを打つ選手なんて松井選手以外にはいません。はっ
きり言って普通の人から見れば、完成でしょ、それ以上何かあるの?
というレベルの話です。そのまま、この50本のホームランを打つ技
術を持っていれば、毎年50本くらいのホームランが打てる。そこか
ら新しく何かをする必要なんてあるのか?という話です。

でも、松井選手はその技術を捨てたわけです。日本で50本ホームラ
ンを打てる技術を捨てて、メジャーリーグで戦うことのできる新しい
技術の習得に挑戦したわけです。今までのバットにボールを乗せて運
ぶというスウィングではなく、メジャーの動く球に対抗できるように、
ボールをしっかりと打つという打撃スタイルに変えた。その結果、1
年目は16本しかホームランを打つことができませんでした。50本
打っていた人が16本だけです。もしかしたら、そのまま行けば20
本打てたかもしれないのに。

しかし、今年は、打撃スタイルを変えたのにも慣れて、メジャーの1
流の証でもある、.300、30本、100打点に手が届くところま
で来ています。これは松井選手が新しい武器を手に入れるために、今
の1番の武器を捨てる決断ができたからです。まだまだ進化していく
でしょう。

こういう風に、今日は今ある1番の武器を捨てて、さらに進化するた
めに、新しい武器を手に入れようと挑戦することの大切さを今日は書
いてきましたが、これは何もスポーツ選手だけに当てはまることでは
ありません。私たち自身にも当てはまることであり、またかつ、今の
日本社会そのものにも当てはまることなのです。私たち日本人は、今
昔の武器を捨てることができません。次のステージに進むために、本
物の社会に進歩するために、まさに戦後の高度成長を生み出したまさ
にその1番の武器を捨てることができないのです。

その結果、社会は戦後の日本と何ら変わることがありません。50年
も60年も前とまったく同じ状況なのです。そして、その武器を怖く
て捨てることができないのです。この高度成長を支えた1番の武器を
手にしたままで何とかやっていくことができないだろうか、そんな方
法はないだろうかと模索して右往左往しているのです。そんな方法な
どあるわけないというのに。まず、私たち日本人が1番初めにしない
といけないのは、ずっと私たちが大切だと思いこんでいたまさにその
ものを捨てることです。

それができない限り、私たちは前に進むことはできません。ジリ貧で
す。政府に何かしてもらう、保護してもらう、規制してもらう、誰か
に頼る、依存する、そういったことが当たり前で集団で馴れ合いでや
っていくのが和だと思っている状態。それを捨てない限り、日本は変
わりません。私たちは本当に捨てないといけない、本質とはまったく
異なるものを捨てないといけない。1流になるために、さらに進化す
るために、大切だと信じ込まされていたまさにそのものを捨てること、
それが今、日本に1番求められていることなのです。

そして、これから何が本当に大切になってくるのか、それを物事の本
質から探していかないといけない。願わくば、このプロジェクトを通
して、本当に次のステップに進むために大切なものを皆さんが見つけ
てくれるとしたら、それは私にとってもとても有意義なことなのです。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  ■■
■■■               今週のお金出費報告
■■■
━━━━━━━━━━━━━━━━━(2004/09/04〜2004/09/10)━

■財務に関する報告
http://www.yuzo.net/fc/ad/welcome/zaimu/index.html

このメールマガジン、そしてホームページ(http://www.yuzo.net/)
で読者様から出していただいたお金を、本を出版するためにどんな形
で使ったのか、また、何に使う予定であるのかを毎週報告します。

□先週の出費
・サーバーレンタル代金   620円
・ADSL回線使用料    1,053円

□今週出費予定
・サーバーレンタル代金   620円
・ADSL回線使用料    1,053円


■先週の収支(2004/09/04〜2004/09/10)

                     集まったお金    2,890円
                     かかった費用合計   1,673円
                  収支        1,217円


■2004/09/10までの累積収支      集まったお金   790,157円
                     かかった費用合計 645,200円
                  収支        144,957円

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【本ができるまでの物語】
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 発行元:才谷屋 http://www.yuzo.net/  発行責任者:才谷勇蔵
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  価格 : 1口 2,000
  お支払方法 :
  銀行でのお振り込み
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 出して下さる金額 :
 2,000円 ×
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